植生史研究 第28巻第1号(2019年10月発行)
[巻頭写真]
日本の古代の木彫像に使われた楠と樟
能城修一・岩佐光晴・藤井智之
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[原著]
北海道南部万畳敷湿原の花粉分析からみた完新世の植生変遷
吉田明弘・鈴木智也・土屋美穂・紀藤典夫・鈴木三男, p.3-12
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北海道南部万畳敷湿原(標高660 m)で採取したボーリング試料の14C 年代測定とテフラ分析,花粉分析の結果から,この湿原周辺における詳細な時間軸に沿った完新世の植生変遷を明らかにした。万畳敷湿原の周辺地域では,約10,000 cal BP にはダケカンバと針葉樹の混交林が広がり,約9500 ~ 6800 cal BP にはダケカンバが優勢な落葉広葉樹林となり,約6800 ~ 1100 cal BP にはミズナラを主体とした落葉広葉樹林となった。また,湿原周辺では約5500 cal BP からブナが定着し,約1100 cal BP 以降にはブナの優占する森林が形成された。この結果に基づき,亀田半島における先行研究との対比を行い,この地域における最終氷期末期以降の森林植生の時空間的な変遷を考察した。その結果,約15,000 ~ 12,000 cal BP の亀田半島では,冷涼な気候下でトウヒ属やモミ属が卓越する亜寒帯性針葉樹林が広く分布していたが,約12,000 ~ 10,000 cal BP には気候の温暖化に伴って,カバノキ属やコナラ亜属の落葉広葉樹林が拡大し,約10,000 ~ 5000 cal BP にはコナラ亜属が優占する冷温帯性落葉広葉樹林になった。約6000 ~ 5500 cal BP には,亀田半島の各地でブナが定着を開始する。このブナの定着開始は,駒ケ岳火山によるテフラ降下の影響があった可能性が高い。その後,約3000 ~ 1000 cal BP までには亀田半島の各地でブナ林が形成された。
[原著]
茨城県陣屋敷低湿地遺跡における縄文時代後期から弥生時代中期の植生変遷
能城修一・吉川昌伸・工藤雄一郎, p.13-28
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茨城県では縄文時代の植生史に関する研究はほとんど行われてこなかった。稲敷郡美浦村の陣屋敷低湿地遺跡では1980 年代後半に発掘調査が行われ,花粉化石や大型植物遺体が検討されたが,人類の活動と植生との対応は未解明であった。美浦村保管の堆積物を使って,年代測定と花粉分析,珪藻分析を行い,人間活動との関連を検討した。その結果,土器の集積と焼土址が形成された縄文時代後期前葉~中葉には,台地上にコナラ亜属が優占する落葉広葉樹林が広がり,谷沿いにトネリコ属の低地林が形成され,台地斜面にはクリ林が維持されていた。その後,人の活動が不明瞭となる縄文時代後期後葉~晩期前葉には,コナラ亜属が優占する落葉広葉樹林が台地上に存続し,谷の中には縄文時代後期前葉~中葉の土器集積と焼土址を基盤としてトネリコ属シオジ節とアカガシ亜属を主体とする埋没林が形成された。この埋没林は,木本泥炭層を伴ったトネリコ属とハンノキ属を主体とする低地林とは異なり,流れにそってシオジ節が生育し,周辺のやや乾いた場所にアカガシ亜属やトネリコ節が生育する林であった。弥生時代中期になると,谷中には沼沢湿地が広がり,台地上にはシイノキ属やアカガシ亜属が優占する照葉樹林が形成された。以上の結果,遺跡の周辺では,縄文時代後期後葉~晩期前葉に照葉樹林はまず沢沿いに拡大し,その後,弥生時代中期に台地上でも優占するようになったと想定された。
[雑録]
渡邉稜也:報告-第45 回日本植生史学会談話会
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吉田保裕:報告-第46回日本植生史学会談話会
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渋谷綾子:報告-Integrated Microscopy Approaches in Archaeobotany 2019
(IMAA 2019) および第18 回国際古民族植物学会議(IWGP 2019)
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