【8巻1号】2000

植生史研究 第8巻第1号(2000年3月発行)

[巻頭写真], PDF
沖縄県前原遺跡から産した縄文時代後期のオキナワウラジロガシ
辻誠一郎

[総説]
東北地方における後期新生代の植物相および植生の変遷 -故鈴木敬治,故相馬寛吉両先生の業績をもとにして-
竹内貞子, p3-13, PDF

会津盆地に分布する上部新生界山都層群は中新統の最上部から中部更新統までを含み,下位より藤峠層,和泉層,七折坂層,塔寺層に分けられ,各層はそれぞれ 3帯,2帯,5帯,6帯の植物化石群集帯に分けられる。上部更新統は主に段丘堆積物で,4化石群集帯に分けられる。中新世末の白子,州谷帯はわずかに亜熱 帯性要素を伴う温帯性要素で特徴づけられる。漸移期である夏井帯の後,前期鮮新世の小柳津帯は,温帯性要素で特徴づけられる。地磁気極性年代尺度のガウス 期と松山期の境を中心にした小柳津帯から袋原帯にかけての時期に,会津盆地からの分類群の消滅や,新たな分類群の出現がみられる。植生の最も大きな変化 は,ハラミロ・サブクロンから松山期とブルン期の境界にかけての大沢帯から塔寺IV帯にかけての時期に生じ,第三紀型の分類群や外地生の分類群が次々と消 滅し,代りに日本列島固有種や亜寒帯性の分類群が出現している。Metasequoiaは,鮮新世末のオルドヴァイ・サブクロンの時期以後,大型遺体は産 出しなくなり,花粉化石のみの産出となるが,やはり松山期の終りに消滅する。ハラミロ・サブクロンの後,気候の温暖化と寒冷化の周期的な変動がよりはっき りする中で,植生も温帯性落葉広葉樹林と亜寒帯性針葉樹林とがくり返しながら,現植生に近づいていった。

[原著]
完新世における北海道美唄泥炭地の形成過程と植生変遷
宮地直道・大井信夫・能城修一・藤根久・神山和則・粕渕辰昭・柳谷修自, p15-31, PDF

石狩泥炭地中部の美唄泥炭地の形成過程と完新世の植生変遷史を地質調査,堆積物の理化学性分析,珪藻・花粉・木材化石分析により復元した。美唄泥炭地は約 8000-7500年前に縄文海進に伴い段丘面が湿地化して形成され始めた。約7500-5000年前になると,前半にはハンノキ属・トネリコ属などの湿 地林が形成され,後半にはやや中間-高位泥炭的な要素を持った低位泥炭層が形成された。約5000-3500年前は河川活動が活発化して中-下流性河川堆 積物起源の珪藻を含む青灰色粘土を主体とした泥質堆積物が形成された。この時期にはわずかながらハンノキ林が形成されたものの頻繁に河川が氾濫する不安定 な環境であった。約3500-2200 年前には河川活動は比較的鎮静化して,ハンノキ節やトネリコ属の湿地林が成立した。湿地林の水平分布を比較すると,河川に近い地点ではトネリコ属が優勢 で,河川から離れた地点ではハンノキ節が優勢となる。約2200年前以降,本地域一帯は安定した後背湿地となり,泥炭地の中央部では泥を含まない低位,中 間,高位泥炭層が順に形成された。堆積環境の安定化に伴い泥炭は次第に未分解となり,珪藻化石では沼沢湿地付着生種群やより乾陸下で認められる陸生指標種 群が確認されるようになった。一方,花粉化石群では,中間泥炭層でカヤツリグサ科・ヤマモモ属が,高位泥炭層でミズゴケが主要な構成種となった。

窓-まど 珍しい出来事と普遍的なパターン, PDF

[書評]
Plant microtechnique and microscopy.
Ruzin,S.E. 1999, PDF

[書評]
Plant Resources of South-East Asia.
PROSEAPDF

[短報]

鮮新 -更新統古琵琶湖層群産のイチョウ葉化石
山川千代美, PDF
北部北上山地から見いだされた最終氷期の材化石
高橋利彦・佐瀬隆・細野衛・奥野充・中村俊夫, PDF

日蘭交流400周年に際して企画されている展覧会
能城修一, PDF

[事務局報告]
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